<山形の原発避難者>子ども守るため決断

2016-09-08

「福島を出るってことは、捨てるってことなのかな」
東京電力福島第1原発事故後、郡山市から山形市へ自主避難した渡辺恵さん(35)=仮名=の心は揺れた。大切な場所を離れたかったわけではない。山形で暮らしていくと決めたのは、子どもたちの存在があったからだ。

<成人するまでは>
小学生の長男を連れて結婚式を挙げたのは、東日本大震災の6日前のことだった。夫(35)と3人で新たな生活を始めたばかり。描いていた家族の暮らしは原発事故で一変した。
山形市へ母子避難したのは2011年8月。直後、妊娠していることが分かった。喜びは大きかったが、同じくらい不安もあった。
妊娠からしばらくして、医師から胎児の心臓が止まっていると告げられた。「どうして…」「もっと早く避難していれば良かったのかな」。自分を責めた。それから3カ月くらいの記憶はあいまいだ。心配した夫も後追いで山形へ移った。

続きは河北新報News Onlineをご覧ください:2016/9/8

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